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2013-05-24 22:30 | カテゴリ:ツレヅレ
結局薬局郵便局。
フラは続けることになりました。まる。

私とフラの出会い。
それを語る前に、まず語らねばならないのは、
私の家族のことだ。

平成14年、初夏。
4歳年下の弟が首を吊って死んだ。
息子が死ねば、父親も母親も気がどうにかなる。
だから、私は狂う訳にはいかなかった。
私は札幌で。
両親は函館で。
300km離れながらも、なんとか両親のケアをしてきた。
そして、1年後。
ようやく、両親の心の傷が癒えかけたと思しき頃に、
私自身が発病した。

鬱病。

1年間、張りつめて続けていた心の糸が
プツンっと、音を立てて切れた瞬間がきたのだ。

以来、隔週で心療内科に通い、
カウンセリングを受け、薬を貰い続けている。
たぶん一生、薬を飲み続けていかなければ、
私は生きていけないんだろうと思う。

私が発病してしばらくした頃、
母親が

「お金を貸してほしい」

と電話をしてきた。
悪いが、夫婦間の共通の貯金はあっても、
私個人の貯金は微々たるものだ。
ましてや、借金申し込みの理由を母親が明らかにしない以上、
旦那に相談することだってできやしない。

「生活が苦しいのなら、私の小遣いの範囲内で、
月に10000円とか20000円とかなら援助できるよ」

と言ってはみたものの、どうやらまとまったお金が欲しいらしい。
それが10万単位なのか、100万単位なのか、
私には怖くて聞けなかったけれど。
煮え切らない母親に私は切れた。

「あんたには何も理由を聞かずにお金を貸して欲しかった」

そんな母親の台詞にマジ、ぶちきれた。

だから。

給料からの天引きで労金に貯めていた70万近いお金を
母親に現金書留で送りつけて、親子の縁を切った。
実家に帰らなかった。
電話もしなかった。
私の心から、母親を消し去った。

平成18年1月のある日。
その日は職場の同僚の結婚式に参加していた。
式の最中に携帯が鳴った。
ちょうど外の空気が吸いたいと思っていたから、
会場を出てロビーのソファに座った。

電話は母親からだった。
たぶん、
2年ぶりくらいだったかもしれない。
彼女の声を聞くのは。
冷静に。あくまで冷静に受け答えをした。
彼女はお金の話を一切しなかった。
私も尋ねなかった。
今となっては思い出すことはできないが、
ささいな近況報告程度の内容だったと思う。

たぶん。5分とか。10分とか。

そして、それが、母親の声を聞いた最後だった。

平成18年2月19日。17:00。
彼女はクローゼットの中で首を吊って死んだ。
きちんと化粧をして。
きちんと出かけるような身支度をして。
遺書も残さず。
ただ、手帳に、自分の実家の電話番号と私の携帯番号だけを書き残して。

父親から電話が着て、その夜遅く、
私は旦那と吹雪の中、函館へ車を走らせた。

夜中過ぎに、函館について、
眠る母親と対面した。
本当に眠っているような表情だった。

涙が出た。
理由のわからない涙が出た。
声は出ず、ただただ、涙だけが、こぼれ落ちた。

遺書はなかった。
ただ、800万円近い借金だけがあった。
父親も知らない借金だった。
父親が司法書士と相談し、借金問題は数ヶ月を経て解決した。

息子を思っての後追い自殺だったのか。
借金を苦にしての自殺だったのか。
それとも、その両方だったのか。

弟が死に。
母親が死に。
父親が残された。

そして、私の心は闇の中に落ちた。
夜、眠ることもできず。
自分勝手に薬の量も増やした。
淡々と日々の仕事をこなし、
淡々と自分の生命を繋いでいった。

そんなとき、ふと、旦那が行ったのだ。

「何処か行きたい国はないか?
家のローンも終わったことだし、何処か、行ってみないか。
海外旅行なんて、オーストラリアとグアムぐらいだろう。
それだって、10年くらい前だし。どうだ?」

初めは、「何を言ってるんだ、こいつ?」ぐらしにしか思わなかったけど、
たぶん、それが、旦那の優しさなんだと思う。
病気が悪化していく私にどうにか気分転換させたかったんだと思う。
でも、不器用な人だから、あんまりアイディアが思いつかなくて、
「旅行」ぐらしいか思いつかなかったんだと思う。
でもって、何か思考が飛躍しちゃって「海外旅行」になったんだと思う。

正直、「行っていいのかな?」って悩んだ。
でも,旦那は行く気満々で。
とにかく、落ちきった私の心をどうにかしたかったんだと思う。

でも、私自身、何処に行きたいのかわからなかった。

大学生の頃、フランス史を専攻していたから、
フランスに行ってみたい気はあった。
シャーロック。ホームズが好きだったから、
イギリスに行ってみたい気もあった。

けれども。
難しい所に行きたくなかった。
もっと、あったかくて、バカになれる所に行きたかった。

オーストラリアには新婚旅行で行った。
その次の年にグアム・サイパンに行った。

結論。
芸能人が正月によく行くハワイ。
何だか、頭を使わなくてよさそう。
日本語も通じそう。

それで、2007年に1月に初めてハワイに行った。

転地療法っていう言葉があるけれども、
まさしくそれだった。
暖かい空気と太陽。
青い空と海。
ドキドキしないで済む英語。
陽気な人々。
華やかなサマー・ドレス。
美しいハワイアン•ジュエリー。
美味しいB級グルメ。
そして、(妙に)優しい旦那(笑)。

確実に、私はハワイから元気を貰った。
生きる希望を貰った。

そして、旦那がハワイにハマった。

JRタワーと大丸を、「ハイアットリージェンシー」とか
「ツイン•タワー」とか呼ぶし、
手稲山を「ダイヤモンド・ヘッド」とか呼ぶし、
とりあえず海を見れば、「ワイキキ・ビーチ」だし。

夏は旦那の希望で、国内の温泉旅行って決まってたのに、

「俺は夏のハワイも体験してみたい!」

とか言って、2007年の夏はハワイ旅行だったし。
どうしちゃったんだ、旦那って状態。
まあ、いいけど。
私にとっては、素晴らしい転地療法なんで。

旦那は旦那でテレビでハワイ番組をチェックしたり、
本屋でハワイ本をうっとり眺めたりしている一方で、
私自身も、日本に居ながらにして、ハワイに触れたいと、
そう思うようになった。
旦那のことをバカにはできない。
私もハワイの虜になってしまったのだ。
ウクレレでもハワイアンキルトでもハワイ語でも良かった。
とにかく、ハワイに触れていたい。
そこで私が選んだのが

フラ

だった。
日本では「フラダンス」と言うことが多いけれども、
「フラ」とはハワイ語で「ダンス」という意味なので、
「フラダンス」というと「ダンスダンス」になってしまう。
だから、私は敢えて「フラ」と表記させていただく。

ちょうど、近くのショッピングセンター内にある
カルチャースクールにフラの講座があったのだ。
月謝が5250円。土曜日の20:00から1時間。
リーズナブルだし、仕事をもっている私でもできる時間帯。
迷いはなかった。
2008年の1月末に体験に行って
(ちなみに2008年1月にもハワイに行っている)
(つか、毎年1月にハワイに行ってる)
2月から受講を始めた。
フラのことなんか右も左もわからない、
けれども、可愛いパウをはいて、
紙にお花をつけたり、レイをかけたりして踊るのは
とても楽しかった。
日本に居ながらにして、私は毎週ハワイを感じることができた。
新しい友人もできた。

2年間、その講座にお世話になった。
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